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- 【偏差値65】武蔵中学校
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武蔵中学校・高等学校(むさしちゅうがっこう・こうとうがっこう)は、東京都練馬区豊玉上にある私立中学校・高等学校である。中高一貫制男子校。
概観
根津育英会が設置した旧制武蔵高等学校を前身とする進学校。東京都立高校全盛の頃より、筑波大学附属駒場高等学校などと共に、東京大学への高い合格率を誇る学校として知られた。学界・官界に多くの卒業生を送り出している。
教育目標
三理想という、事実上の校訓ないし校是があり、その内容は、
東西文化融合のわが民族理想を遂行し得べき人物
世界に雄飛するにたえる人物
自ら調べ自ら考える力ある人物
である。これは、開校初年度の入学式で一木が述べたものについて、1929年に表現上の変更をしたものである。
沿革
根津嘉一郎1922年、第二次高等学校令に基き七年制の旧制高等学校「武蔵高等学校」として創立されたのがはじまり。創立者は根津財閥初代総帥の根津嘉一郎で、賛同した宮島清次郎、正田貞一郎らは理事となった。初代校長には一木喜徳郎、さらに評議員として北条時敬、平田東助、岡田良平、山川健次郎などを教育界から迎えた。官立の東京高等学校と並んで日本最初の七年制高校であり、日本で最初の私立高校[1]でもあった。後に七年制高校としては府立高等学校も設立され、七年制高校は、当時の府立一中 - 一高 - 東大ラインに代わりうる新たなエリートラインとして台頭しつつある存在でもあったが、太平洋戦争に突入し人気が急落、道半ばとなってしまった。そのため、七年制高校の評価は定まっていない。1948年に学校教育法に基き新制高校「武蔵高等学校」が発足、1949年に新制中学「武蔵中学校」が発足し、2000年には高校からの募集を停止し、完全な中高一貫校となり、現在に至る。
旧制武蔵高校は、山本良吉教頭(当初)の主導のもと、英国のパブリックスクールを模範とし、一学年の定員80人で純粋培養・少数精鋭の知的スパルタ教育を掲げ、当時流行していた野球を禁じ、ガリ勉を推奨した。それゆえ 東京帝国大学合格者数では及ばないまでも進学率で旧制第一高校、旧制東京高校等と首位の座を争ったこともあった。しかし、厳格な成績評価による留年、スパルタ教育に嫌気の差した生徒の退学が相次ぎ、当初の入学者数が卒業時には半数以下の38人になる年もあった[2]。
もともとは「東京高等学校」という名称になる予定だったが、官立で東京高等学校を設立することが決定され、名称を譲渡して欲しいとの申し入れを受け、東京府の旧国名から「武蔵」と命名された。
校風
非常に自由な校風を特色とする。服装や所持品を定める規則はなく、私服校である。校則で定められている禁止事項はバイク通学や校舎内での下駄履きなどごく限られている。
水投げ
かつて、上級生が「歓迎」と称して、水を入れたビニール袋を新入生の教室に向けて投げこむいたずらが、4月の恒例となっていた時期があった。水投げの被害によって授業が中断したこともあり、現在では事実上禁止されている。その様子は大岡玲の芥川賞受賞作「表層生活」の中にも登場する。
教育 [編集]
授業では文科省指定教科書はほとんど用いず、プリントや文庫本等を教材にする。一部科目では高校レベルを大きく超えた内容も扱うなど、教養教育が大きな特徴。また、夏期休暇前に行なわれる「特別授業」や、高校1年の「総合講座」では科目編成にとらわれない実習や講演が開かれる。[4]
語学教育は、英語ではCALL (en:Computer-assisted language learning) を取り入れるなど、先進的手法の導入に積極的である。また、中学3年より全員(高校からは選択者のみ)が週2時間の第二外国語を学んでおり、ドイツ・オーストリア・フランス・中国・韓国の各校と提携し、交換留学を行っており、武蔵からは毎年十数名の生徒を派遣している。また、イギリスのイートン・カレッジとも交換している。
生徒の自主研究活動に授与される、山川賞・山本賞という表彰制度があり、それぞれ理科的研究・文化的研究に与えられる。
中学入試問題は創立当初から記述力・発想力を問う形式で、一般的な入試問題とは一線を画している。応用問題のみで構成される算数、字数制限なしの論述問題が出題される国語、高いテーマ性を持った社会、「観察問題」の出る理科など、全ての科目が特徴的。高校からの募集は2000年に停止され、以後実施されていない。
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』武蔵中学校・高等学校
- 【偏差値65】海城中学校
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海城中学校・高等学校(かいじょうちゅうがっこう・こうとうがっこう、Kaijo Junior & Senior High School)は、日本の東京都新宿区大久保にある私立中学校・高等学校である。中高一貫制男子校。
概観
明治時代に、古賀喜三郎により海軍兵学校への予備校、海軍予備校として創設され、一世紀以上の歴史を有する伝統校である。「フェアーな精神」 、「思いやりの心」、「民主主義を守る意思」、「明確に意思を伝える能力」を身につけた、高い知性と豊かな情操を持つ人物を 『新しい紳士』 と名付け、質実剛健・リベラルでスマートな校風のもと、その育成を目指している。
建学の精神
国家・社会に有為な人材を育成する
教育理念
「新しい紳士」を育成する
沿革
経緯
古賀喜三郎1891年、佐賀藩出身の古賀喜三郎により海軍兵学校への予備校、海軍予備校として創設された。当時の日本は、国力の上昇に伴い、海軍思想の普及と相俟って、優秀な海軍士官の養成が急務とされた時代であった。海軍兵学校の教官を経験した創立者古賀喜三郎は、海軍士官の人材が乏しいことを痛感し、海軍予備校を背負って立ち上がったのだった。海軍式エリート教育を行うため、商議員には渋沢栄一や高田早苗ら、また議定員には西郷従道や伊東祐亨ら朝野の名士を集め、講師にも海軍兵学校の有力な教官を揃え、万全の体制を敷いた。全盛期には、海軍兵学校の全入学者の半数近くを占めるほどに発展し、「海軍兵学校に進むには海軍予備校を経なければならない」とまで言われた。また1904年の日露戦争には、多くの卒業生たちが青年士官として軍艦に乗り組み、旅順港封鎖に、日本海海戦にと武功をたてた。しかし、中学令により海軍予備校に併設された日比谷中学校(1899~1906年)と、その後の海城中学校(1906~1948年)が次第に主流となり、海軍予備校の跡を継ぐ海城学校(1900~1931年)が従となってくると、高等学校等の上級学校へ進学するための普通の中学校に性格を変えていった。終戦直後、GHQより閉校命令が出て学校存続の危機に陥ったが、学制改革により1947年に新制海城中学校、1948年に新制海城高等学校として発足し現在に至る。
太平洋戦争終結前、成立経緯から攻玉社と深い関係を築いていたが、現在は交流が途絶えている。また、陸軍士官学校への予備校としては成城が挙げられる。ちなみに日比谷中学校と府立一中とは関係がない。
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』海城中学校・高等学校
- 【偏差値65】浅野中学校
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浅野中学校・高等学校(あさのちゅうがっこう・こうとうがっこう)は、神奈川県横浜市神奈川区子安台にある私立中学校・高等学校。中高一貫制男子校。
概要
実業家・浅野總一郎により、1920年(大正9年)に創設され、80年以上の伝統を有する。県内では栄光学園・聖光学院に次ぐ進学実績を挙げており、首都圏で難関校のひとつとして位置付けられている。
略歴
浅野總一郎は大正期に米国視察を通じ、フォード・モーター等米国の有力企業で人材教育が重視されていることを知り感銘を受け、本学園設立を着想。教養と高度な職業能力を併せ持つ人材を浅野財閥各社をはじめとする民間企業へ供給するという、実業学校的理念を強く持って開校された。当初はアメリカのゲイリーシステムという勤労主義を導入。学内の一角に作られた工場による科学技術教育と、実用的な語学教育を特色としていた。
戦後の学制改革に伴い旧制中学を改組し中高一貫体制を確立、進学校を志向する。1970年代頃より東大早慶等の難関大学への進学実績を伸ばしている。
校風
旧制中学時代からの質実剛健・バンカラ気質であるといわれている。
中高一貫教育であり、クラブ活動への参加率も高く、教員の多くが本校OBでもあることから人的結びつきが強くアットホームな雰囲気が醸成されている。第三代以降の歴代校長は本校OBである。
神奈川県内の中高一貫校のなかにあって、戦後生まれのミッションスクールである栄光学園・聖光学院・サレジオ学院や、大規模新興校である桐蔭学園・桐光学園、仏教系の鎌倉学園、大学まで一貫の慶應義塾各校とは一線を画した校風であり、県立伝統高校に似た雰囲気を持っている。
制服は古くから中高ともに黒の詰襟で、かつては制帽もあった。
クラブ活動
体育系17部、文化系12部。任意加入であるが、参加率は中学生ではほぼ100%、受験生である高校3年生でも運動部を中心に3分の2の生徒がチームの中核として引退せずにクラブ活動を続けている。クラブ活動に熱心な生徒は学業成績も概して良好である。
戦前?戦後まもない頃は神奈川県内屈指の野球の強豪校として知られ、甲子園に春1回・夏3回出場している。最高位は全国ベスト8。戦後は、夏の県大会優勝1回(甲子園出場)、同ベスト4が2回、秋季県大会優勝3回、春季県大会優勝1回。
棋道部は近年、文部科学大臣杯中学校囲碁団体戦全国大会で好成績(第3回大会はベスト8、第4回大会は優勝、第5回大会は準優勝)を収めている。
地理
京浜工業地帯、ベイブリッジを眼下に見渡す高台に位置し、曇天でもよく見える。晴れた日には遠くに富士山を望むこともできる。 58,655m?の広大な敷地を有し、そのほぼ半分は浅野総一郎翁像がある「銅像山」と呼ばれる自然林に占められ、豊かな緑で包まれている。 校地の東側に隣接する「子安台公園」は、戦前まで校地の一部であったが、戦時中に陸軍に高射砲陣地として接収され、返還されることなく公有地となったものである。
交通
JR京浜東北線新子安駅、京急新子安駅より徒歩8分。
校内
敷地内には、グラウンド、本館、中学棟、高校棟、講堂、生徒ホール、体育館、プール、第1広場、第2広場、多目的コート、部室、クラブハウス(中学生用部室)、テニスコート、格技場(柔道場)、剣道場、卓球場、ハンドボールコート、浅野總一郎翁の銅像がある。地下2階、地上5階建ての高校棟は最新機器を導入したコンピュータ室、120インチビデオプロジェクターを備えた語学演習室をはじめ先進の教育環境を整えている。2007年春には中学棟に新しくエレベーターが設置されるなどバリアフリー化も進んでいる。スポーツ施設が各種整い、クラブ活動や体育の授業に活用されている。
銅像山と浅野翁像
銅像山とは、校地の南東に位置する小高い山。頂上には浅野總一郎翁の巨大な銅像が置かれている。台座には、浅野總一郎が設立に関与した各企業名等の記された銘版が埋め込まれ、彼の業績が讃えられている。山頂は駐車場としても利用される広場になっており、浅野翁の開拓した京浜工業地帯見下ろせる。
銅像山西側斜面には昭和後期まで防空壕がそのまま残されていた。防空壕はエスケープポイントして活用されていた時期もあった。
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』浅野中学校・高等学校
- 【偏差値64】サレジオ学院
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サレジオ学院中学校・高等学校(されじおがくいんちゅうがっこう・こうとうがっこう、英称:Salesio gakuin High school)は、神奈川県横浜市にある中高一貫校[1]。カトリックのサレジオ修道会を教育母体とする。
概要
1960年東京都目黒区碑文谷に創立。現在は横浜市都筑区に位置し、県下屈指の進学校として知られる。サレジオ会創立者ヨハネ・ボスコの『信』・『愛』・『理』を根本とする理念に基づき、国際的視野に立つ人間、社会への奉仕を実践できる人間を目指した教育を行っている。
生徒数は一学年約170名。校地は48,000平方メートルの広さに及ぶ。また聖職を目指す生徒のための寮があり、その目的のために遠方から入学する者もいる。教師と生徒の信頼関係は深く、卒業生が頻繁に母校に遊びに来たり、在学当時の恩師の自宅に集まったり等、教師と生徒の関係は卒業後も続くことが多い。
交通
横浜市営地下鉄グリーンライン北山田駅から徒歩7分
東急田園都市線たまプラーザ駅から東急バスニュータウン北線で「サレジオ学院」バス停下車
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』サレジオ学院中学校・高等学校
- 【偏差値64】桐朋中学校
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桐朋中学校・高等学校(とうほうちゅうがっこう・こうとうがっこう)は、東京都国立市にある中高一貫校で私立男子校。桐朋学園によって運営されている。
概要
桐朋学園男子部門の一つであり、桐朋女子中学校・高等学校と桐朋学園音楽部門である桐朋女子高等学校とは併設校にあたる。
「桐朋」の名称は東京文理科大学・東京高等師範学校(後の東京教育大学。さらに後、筑波大学)の校章「桐」に由来し、同校との協力の関係を意味する。そのため現在でも、毎年同校からの体育の教育実習の受け入れを行っている。桐を学校名に用いている桐蔭、桐光両校と関係はない。
教育目標
自主的態度を養う
他人を敬愛する
勤労を愛好する
上記の「自主、敬愛、勤労」は旧教育基本法1条及び2条から由来している
校風
元々軍人子弟養成の学校であったが開校すぐに終戦を迎えた為、軍系列として廃校の危機を迎えた。そこで、旧東京教育大学(現筑波大学)の支援を得て校内を刷新した。全体としては概ね自由な校風にあるといえる。学費などを定めた学則以外に、他校で言うところの校則が存在しない。 生徒においても生徒会や部活動などの自主活動が盛んであり、学生生活の中心となっている。 教職員にあっては教育理念を「教育基本法に則り、民主主義教育の普及徹底を期する」と述べるなど、概してリベラルであり、桐朋学園男子部門教職員組合は憲法擁護や教育基本法改正反対を掲げている。
桐朋祭
男子校である桐朋での数少ない女性との接点で、毎年6月上旬の金・土・日曜日に行われている学園祭。入場者数は毎年8000名程度と言われる。 2008年度から、生徒の準備が夜遅くまで及ばないように、という配慮で土・日・月曜日に変更された。 他校によくみられるクラス単位や、高校生による学年単位の出し物はほとんどなく、各クラブや有志団体がほとんどである。各クラブ、特に文化系はそのほとんどが何らかの形で出展しており、展示出展などで地学部のプラネタリウム鑑賞、ロケット打ち上げや生物部のクワガタ幼虫の無料配布などが人気が高い。一方、露店は有志団体による参加が多く、毎年10以上軒を連ねる。その他、生徒会や保護者会のバザー、実行委員会主催の著名人講演会などがある。 毎年恒例となっているものに「教師かくし芸」というものがある。これはその年の新任教員と希望した教員が参加。手品や楽器演奏・歌唱などが行われることが多い。
スポーツ大会
中学は6月の1回、高校は5月と9月の2回行われ、サッカー、ソフトボール、バスケ、バレー、卓球の5種目(但し中学1年生はバレーを除く)でもってクラス間で争われる。2007年の秋、各競技の代表が走る、150mリレーが行われたが、2008年度以降は行われていない。特に高校には運動会が無いため、貴重なクラス単位での行事である。そのため2年次にはクラスでそろいのユニフォームを用意するのが習慣となっている。大抵のクラスはサッカーユニフォームのレプリカを採用する。
中学修学旅行
例年、学年で東北を巡るという4泊5日の計画で行われる。初日に新幹線で八戸まで行った後、三内丸山遺跡、奥入瀬渓流、龍泉洞、田老、中尊寺などを見学し、再び新幹線を利用して帰京する。基本的にはクラス別行動だが、三日目のみはコース別行動になる。このコースは各自、事前に選択をする。
高校修学旅行
例年、クラスごとに関西、四国、中部、中国各地に2泊したのちに京都に集まり、そこで2泊し帰京という4泊5日の計画で行われる。選択可能な地域としては、大阪、奈良、神戸、広島、四国、石川などがある。修学旅行委員として選出された生徒が、旅行会社(近畿日本ツーリスト)の担当者と相談を繰り返しながら準備を進めていく。2007年度、初の試みとして、鳥取へ行ったクラスもある。
生徒活動
中学・高校にそれぞれ生徒会が存在する。制度上の組織構成は中学、高校とも全く同じである。他校に比べ組織構成が複雑であり、権力が分散されている。原則すべて生徒が自主的に運営する。教職員としては生徒会担当教員がおり会則上生徒会は助言を受けるとされている。しかし、生徒会(特に運営に慣れている高校生徒会)はほとんど教員は介入しておらず、予算などすべて総務委員会などを中心に決定している。
総会
生徒会の最高機関で、全生徒会員による。中学、高校は別々に学期末などに開かれる。中高共通事案については学園総会があるが、中高全体では人数過多のために開催場所がなく、近年は開かれていない。
中央委員会
中学高校の総務委員や各委員会委員長、クラブ評議員会議長以下三役などによって構成される、総会に次ぐ機関である。クラブ・同好会の設立及び改廃など、生徒会運営上の実質的な審議権を持つ。中高の主要役員全員が参加する必要がある為、2008年度1学期までは重大な議案が発生した時しか開かれなかったが、2008年度2学期より総務委員会の方針変更によって生徒会則の規定に則り定期開催されるようになった(会則の規定上、中央委員会は本来1か月に1度以上開催される必要がある)。直属の下部組織には桐朋祭(文化祭)実行委員会や新聞局、スポーツ大会実行委員会、図書委員会などがあるが、上記にあるように最近まで不定期開催であったため、これら下部組織は実質的に独立機関に近く、総務委員会や生徒委員会による監督、介入は不可能になっている。
総務委員会
中高それぞれ8名の委員で構成される。事実上、総務委員長が他校との交流などの際は生徒会長の役割を果たす。実質的な生徒会運営のほとんどを司っており行政に近い役割である。委員長や副委員長は生徒全員の選挙によって選出される。
生徒委員会
各クラスより4名選出され、構成される。中学は72名、高校は84名。クラス委員会と校内自治委員会に分かれ分担して業務を行う。原則対等であるが、全体で活動する場合はクラス委員長が生徒委員会委員長も受け持ち、校内自治委員長が副委員長となる。委員長は互選による。 ただし、高校生徒委員会は校内自治、クラス委員会ではなく、校内の環境など学校生活に関する問題を審議する「日常生活班」、生徒会会則改正に関する問題を審議する「会則改正班」といったような分け方をされており、編成については年度毎に正副生徒委員長が決定している。
会計監査委員会
各委員会や部活動への監査権限を持つ。会計監査時期にしか実質的に活動しない為、存在感は薄いが、図書委員会などと違い完全な独立機関である。会計等、不正審査に関して強い権限を持つが、他の運営に関しては全く権限がなく、主要委員会の中で唯一中央委員会に委員を派遣しない。委員はすべて生徒全員の選挙によって選出される。
部活動・同好会
35のクラブと8つの同好会がある。各クラブはクラブ評議員会に属し、総務委員会などと協議の上で予算が組まれる。ただし、同好会はこれに属さず、予算もない為各会員の自費で運営される。(囲碁班や交通研究部内の班などもそれぞれ独自予算が組まれ、ロッカーや部室も別々であり、他のクラブとは特に変わらない)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』桐朋中学校・高等学校
- 【偏差値63】立教新座
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立教新座中学校・高等学校(りっきょうにいざちゅうがっこう・こうとうがっこう)は、埼玉県新座市にある男子校の中高一貫校で、学校法人立教学院によって設置されている日本聖公会系のキリスト教主義ミッションスクールである。
沿革
1948年 - 新制立教高等学校として東京都豊島区西池袋に開校。
1955年 - 第27回選抜高等学校野球大会に出場。
1960年 - 埼玉県新座市に移転。
1985年 - 第67回全国高等学校野球選手権大会に出場。埼玉県では初めての私立高校による夏の甲子園出場であった。
2000年 - 立教新座高等学校へ改称、立教新座中学校開校。
2002年 - 新館(2号館・3号館)竣工。
2003年 - 立教新座中学校第一期生を送り出す。
所在地
最寄駅は、東武東上線志木駅徒歩約12分(バス約3分)、JR武蔵野線新座駅徒歩約25分(バス約10分)である。
立教学院新座キャンパス内に位置し、立教大学新座キャンパス(観光学部・コミュニティ福祉学部・現代心理学部)が隣接する。
以前は「立教高等学校新座校地」として全域が高等学校の敷地だったが、現在は大学と共用している。
特徴
池袋に新制立教高校として開校した後、新座へ移転。2000年、中学校併設に伴い「立教新座」に改称されたものの、「立教高校」で呼ばれることが多い。
制服はあるが、高校生は私服での通学が認められているなど、自由な校風の学校("自由の学府"と自称)である。
所定の推薦要件を満たせば内部推薦により立教大学へ進学することが可能である。ただし、立教大学の附属校ではない(学校法人立教学院の系列校が正しい。立教学院は、立教大学を頂点とした形態ではないため)。
設備
今後の施設整備計画として、立教学院創立135周年記念プロジェクト「立教未来計画」の教学環境設備支援プロジェクト において、少人数教育の実現や多様な授業への対応を行うべく老朽化が進んだ本館校舎を全面建て替えし、第一・第二体育館も建て替えることが盛り込まれている。
校舎
アントニン・レーモンドにより設計され1960年に建築された本館校舎(高校HR教室・事務室等)のほか、2002年に竣工した2号館(中学HR教室)、3号館(理科・芸術系諸教室、生徒ホール)がある。
付帯設備
図書館、総合体育館、第一体育館、剣道場(第二体育館)、プール、野球場、テニスコート、陸上競技場、チャペル、生徒ホール(学食、売店)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』立教新座中学校・高等学校
- 【偏差値63】芝中学校
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芝学園中学校・高等学校(しばがくえんちゅうがくこうとうがっこう)は、東京都港区芝公園三丁目にある私立中学校・高等学校。校長は助川幸彦、理事長は服部正中。
概要
戦前からの進学校として各界で活躍する幾多の人材を輩出してきた都内有数の名門中高一貫校である。校訓「遵法自治」のもとに自由で大らかな校風を特徴としている。
尚、生徒募集は中学校(男子280名)のみとなっており、高等学校からの募集は行わない完全中高一貫校である。2006年に創立100周年を迎えた。愛知県にある東海中学校・高等学校は兄弟校であり、転校生の相互受け入れを行っている。
交通・周辺環境
東京地下鉄日比谷線神谷町駅徒歩5分
銀座線虎ノ門駅徒歩15分、
都営地下鉄三田線御成門駅徒歩7分、
大江戸線赤羽橋駅徒歩10分、
浅草線大門駅徒歩15分、(付近には増上寺や東京タワー、NHK放送博物館などの観光名所も存在している。芝公園に隣接した、緑のある環境だが、愛宕グリーンヒルズなどのオフィスが集まる、ビジネス街の真ん中に立地している。
制服
制服の冬服は、黒の詰襟の5つボタン標準的な学生服で、中学生は右襟に学年、左襟にクラスの記号のバッジをつける。高校生は左襟に学年により地の色が違う「Shiba」のバッジをつける(1年生が赤、2年生が緑、3年生が青)。そのほか、学級の三幹事(学級委員に相当する)は桜のバッジをつける。放送委員・図書委員もバッジをつける。夏服は、ワイシャツに、中学生はグレー、高校生は黒のズボンとなる。
また、中学生は伝統ある「芝ブランド」を継承する白い布製の肩掛け鞄を着用する。なお、現在は中学生・高校生ともに制帽は廃止されている。
戦時中は、制服の色が国防色になったり、国民服に近い折り襟型になったこともあるという。
また、体操服は黄色地で、入学時に各学年で、赤、緑、青のどれかのラインが入っているものを購入し、6年間その色は変わらない。つまり、中1と高1、中2と高2、中3と高3が同じ色となる。
※2007年度より、30年以上続いた体操着が廃止となり、ミズノのものになる。新中1は全員が新ジャージとなるが、その他の学年の生徒は自由に購入とされる。
校風・カリキュラム
真理を拠り所とし、自らの力により自己を治めることを説く校訓『遵法自治』のもとに、自由で伸びやかな校風を特徴としている。 学校は仏教主義に基づく豊かな人格の養成の場として位置付けられており、全ての生徒の個性や自主性が尊重され、生徒は「法律を犯さない」「他人に迷惑をかけない」「他人に不快感を与えない」範囲で自由に行動することが出来る。したがって、校風はよく、自由でのびやかと評される(詰めの甘いぬくぬく教育という誤った解釈から「芝温泉」というひやかしもあるが、あくまで生活面の教育であり、実際は妥協のない学習カリキュラムが構成されている《当項第3段落目参照》)。
また、芝は家族主義の学校であり、生徒、教員、OB、保護者は全て芝学園という中の家族であって、互いに愛し合い支えあって生きて行くという考え方が根底に流れている。 従って、特に学校は生徒を如何なる場合でも大切にし、守って行かなければならないという姿勢がある。
学習カリキュラムは完全中高一貫校という特色を活かし、高2までの5年間で各教科の履修内容をほぼ終了させ、高3の1年間で大学受験の問題演習をみっちり行える体制が整えられている。 古くからの進学校としての歴史・伝統があり、戦後の新学制発足時から東大合格者を輩出し続けている。
学校行事
学園祭:9月の第2土曜日・日曜日の2日間にわたって、秋の学園祭シーズンのトップバッターとして開催され、関東の高校の学園祭におけるベンチマーク的存在である。中・高の学園祭としては多めの、1万5000人以上の来場者を誇る。
運動会:毎年5月のゴールデンウィーク期間直前に豊島園にて開催される。これは東京タワーの真下という極めて特殊な立地条件のため、校庭が狭く、保護者などの見学スペースがないばかりか、競技進行のスペースにも事欠くというやむをえない事情によるものである。 2005年には第50回記念大運動会が催された。
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』芝中学校・高等学校
- 【偏差値62】立教池袋
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立教池袋中学校・高等学校(りっきょういけぶくろちゅうがっこう・こうとうがっこう)は、東京都豊島区にある私立の中学校及び高等学校で、学校法人立教学院によって運営されている日本聖公会系のキリスト教主義学校(ミッション・スクール)である。
沿革
1896年(明治29年) 立教尋常中学校設置。
1899年(明治32年) 中学校令改正により、立教尋常中学校を立教中学校に改める。
1925年(大正14年) 池袋に中学校校舎完成。
1948年(昭和23年) 新制立教中学校、立教高等学校を東京都豊島区西池袋に設置。
1960年(昭和35年) 高等学校を新座市に移転。
2000年(平成12年) 立教池袋中学校に改称、立教池袋高等学校を併設。
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』立教池袋中学校・高等学校
- 【偏差値62】暁星中学校
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暁星中学校・高等学校(ぎょうせいちゅうがっこう・こうとうがっこう)は、東京都千代田区にある中高一貫教育の私立中学校および高等学校。カトリック修道会、マリア会を設立母体とする。
概要
文武両道の学校で、毎年早稲田大学・慶應義塾大学をはじめとした有名私立大学、あるいは東京大学・一橋大学などの国立大学に大多数の生徒が進学する。また東京医科歯科大学・東京慈恵会医科大学・聖マリアンナ医科大学などの医学部入試でも、毎年多数の合格者を輩出している。2006年度は、東京大学に16名(現役11名・浪人5名)の合格者を出したほか、早稲田大学に84名、慶應義塾大に60名が合格している。
伝統ある制服は金モールの詰め襟に7つボタン。後身頃のステッチや夏服生地の灰緑色が特徴的で、制帽、制靴に靴下色、鞄も制定されておりトータルにデザインされている。フランス海軍の制服をモデルにされており、開校当初からモデルチェンジは一切されていない。
学内では中学校が1-3年生、高等学校が4-6年生と呼称され、実質上一つの学校となっている。2002年度以降、帰国生徒枠編入以外、高等学校からの新入生は募集していない。
また、主に在日フランス人子弟や邦人の帰国生徒が通うリセ・フランコ・ジャポネ・ド・東京(旧称あけぼの学園)がシャミナード修道院側隣接地(小学校対面)にあるが、生徒間での交流は特にみられない。
経緯
暁星学校は、青年教育を目的とするパリのカトリック修道会・マリア会の会員5名(アルフォンス・ヘンリック、ニコラス・ワルテル、ジョセフ・セネンツ、ルイ・シュトルツ、カミーユ・プランシュ)がマリア会の要請で来日し、京橋区築地の築地カトリック教会の敷地内に神学校として開設された家塾を母体として、麹町区元薗町2丁目4番地の借家を校舎として学校設立申請を認可されて1888年に開校。その後1890年に現在地に移転して私立暁星小学校の設立が認可され、1919年には卒業生にフランスのバカロレアと同等の資格が与えられることになった。1923年の関東大震災では校舎に引火し被害が甚大なものとなったが、ローマ教皇庁はじめ世界中の国々からの浄財が集められ1925年に校舎が再建された。学制改正により暁星初等・中等学校となる。第二次世界大戦中の学童疎開に於いては、暁星疎開学園委員会を結成し軽井沢や箱根、山梨に別れて疎開した。第二次世界大戦降伏後の学制改革によって、暁星初等・中等学校は、暁星小学校、暁星中学校となった。1948年には暁星高等学校が認可設立され、小中高の一貫教育を開始した
教育
キリスト教の理念に基づく教育により人格の完成をめざし、社会の福祉に努める人物を育成することが同校の教育理念である。
中学3年時より主要教科(外国語・数学・国語)は習熟度別編成になり、高校2年時で文系・理系選択を行う。[2]。医師の息子が多いため理系を選択する学生が多く、その大半が医学部を志望する。そのためか数学・理科に関してはハイレベルな授業が展開されている。
数学はオリジナルの教科書を用いており、英語においても旧来より、ロバート・M・フリン神父著、上智大学編纂の『Progress in English』シリーズをテキストに用いている。
また、フランス語教育を行っており、小学校からフランス語教育が施され、中学進学時に、第1外国語を英語とフランス語から選択し、他方を第2外国語として中学3年時まで学習する。毎年6月頃には「フランス語フェスティバル」が行われ、暁星の他白百合・雙葉・田園調布雙葉・浦和明の星・慶應などの学校からフランス語を第1外国語として履修する生徒が集まり、フランス語による劇やスピーチが行われる。
黄緑色の『Premier Livre』からステップごとの色別表紙が施されるテキストは本校編纂であり、前述のフランス語教育を行うカトリック系各校で利用されている。
また、週に1時間宗教の授業が「道徳」に代わり行われる。もちろん宗教とはキリスト教(カトリック)のことであり、神父や神学校(上智大学の神学科など)を卒業した教師により聖書の朗読や読解、キリスト教宗教学の授業が行われる。
クラブ活動
部活動は盛んであり、特にサッカー部は強豪。本校においてサッカーは「校技」であり、サッカー部は日本サッカー協会より歴史が古い。これは学校がフランス人によって設立されたことに由来する。他のサッカー強豪校と異なりスポーツ推薦制度を採用していないが、高校は全国大会に10回の出場経験がある(ちなみに東京都では帝京高校に次ぎ2番目に出場回数が多い)。 中学は近年連続で全国大会に出場しており、2000年から2年連続で全国制覇を果たしている。小学校では週に1時間、体育の授業の他に「サッカー」の授業が設けられており、毎年「リフティング大会」が行われるほか、中学校に進学しても毎年2月に各学年で「サッカー大会」が開催される。
また、かるた部も全国的に強く、団体は2004・2005年度に悲願の全国優勝2連覇を果たした。他にもバレーボール部、陸上部が東京都大会や関東大会の常連である。
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』暁星中学校・高等学校
- 【偏差値61】学習院
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学習院中等科(がくしゅういんちゅうとうか)は東京都豊島区にある私立の中学校である。設置者は学校法人学習院で、学習院大学の系列校である。
卒業後の進路
高等科へは約95%が推薦で進学する。中等科3年時までの学業成績、操行、出席日数が基準となる。例年約200名中数名が成績で基準を満たすことができず高等科非推薦となる。また高等科推薦を辞退して慶應、早稲田、国立大学附属高に進学するものも数名いる。
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』学習院中等科
- 【偏差値61】本郷中学校
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本郷中学校・高等学校(ほんごう ちゅうがっこう・こうとうがっこう)は、東京都豊島区駒込に所在する私立中学校・高等学校。
概要
高松藩第12代当主である松平?壽が当時急速に普及した中等教育の時代趨勢の中、官公立の中学は府立一中等学校数が少なく、地元の誠之小学校から多くの子弟の進学が困難な状況であったことと、また知育偏重・画一的な教育を憂え、1923年に旧制本郷中学校を設立。現在は、中学校と高等学校を併設して中高一貫教育を推進している。
高校ではクラブ活動が盛んだった時代があり、ラグビー部やサッカー部は全国を代表する名門だった。ラグビー部は1985年の第65回全国高等学校ラグビーフットボール大会では準優勝をしており、花園の常連校だった時代もあるが、難関国立大学をめざすコースの設定をはじめとする、大学進学指導体制の強化など学力養成を重視した教育方針への転換を期に、相対的な実力は低下し、近年は全国大会への出場も少なくなったが、2007年度は4年ぶりに全国大会へ出場した。
過去には、普通科の他に理数科・機械科・デザイン科の4学科を設置していたが、前述の通り教育理念の改変による科の統廃合のため、現在は普通科のみの編成となっており、特進クラスの設置や付属中学にも特別進学クラス予備クラスが設置されるなど、中高一貫の教育へと転換している。
交通
JR山手線・都営地下鉄三田線巣鴨駅より徒歩3分強。JR山手線・東京メトロ南北線駒込駅より徒歩7分。
校風
建学の精神は「個性を尊重した教育を通して、国家有為の人材を育成する」である。教育目標は、強健(心身両全にして、困難に耐えうる)、厳正(志操堅固にして、自らに厳しく中正な判断をなしうる)、勤勉(責任を重んじ、誠心誠意つねに自己の務めに精励する)である。 文武両道を旨とする方針の下、生徒の自発的な学習即ち自学自習を促す傍ら、クラブ活動を強く奨励し中学全体で94%、高校全体で73%の生徒が部活動に参加している。
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』本郷中学校・高等学校
- 【偏差値60】攻玉社
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攻玉社中学校・高等学校(こうぎょくしゃちゅうがっこう・こうとうがっこう、Kogyokusha Junior & Senior High School)は、東京都品川区西五反田にある私立中学校・高等学校である。通称は、「玉社(ぎょくしゃ)」。
概観
明治時代の六大教育家の一人である近藤真琴により創設され、一世紀以上の歴史を有する伝統校である。その名は広辞苑にも記載されている。戦前は海軍兵学校への予備校として名を馳せた。第二次世界大戦後、海軍兵学校が廃止されると一時期は都立高校の滑り止めとなり、底辺校にまで低迷したが、元都立国立高校校長であった岡本武男が校長として就任すると1980年代に中高一貫六ヵ年教育を実施した[1]。
教育理念
他山の石以て玉を攻くべし
詩経の一説であり、近藤真琴の言葉で最も有名。 さびれた石(=他山の石)のように取るに足らないものでも、そこからも学び、自ら(=玉)を向上させていく(=攻く)ことを説いた言葉である。 「攻く」は「みがく」と読む。
経緯
1863年に近藤真琴が鳥羽藩の江戸屋敷に開設した蘭学塾が発祥。明治初期には慶應義塾、同人社(のち明治20年代に廃校)と合わせて、「三大義塾」として並び称された。1869年には築地の海軍操練所へ移転、その後海軍兵学校への予備校として発展、海軍大将など多くの海軍関係者を輩出する。その成立経緯から第二次世界大戦前は海城と深い関係を築いていた時期もあったが、現在は交流が途絶えている。また、陸軍士官学校への予備校としては成城が挙げられる。
戦後、海軍兵学校の予備校としての地位が無くなると人気が急落、進学実績が少なからず低迷していたが、現在では、進学校として位置づけられているとする一部受験産業の評価も存在する。また、帰国子弟のみを集めた国際学級や成績上位者を集めた選抜クラス、算数・国語いずれかの教科のみの一科目特化型入試(特別選抜入試)など、私立の教育界がそれまで実施していない手法を実施することでも知られている。
所在地
東京都品川区西五反田5-14-2
アクセス
東急目黒線不動前駅より徒歩2分
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』攻玉社中学校・高等学校
- 【偏差値60】城北中学校
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城北中学校・高等学校(じょうほくちゅうがっこう・こうとうがっこう)は、東京都板橋区東新町に所在する私立中学校・高等学校。
概要
府立4中(現都立戸山高校)で、40年間校長を勤めた深井鑑一郎氏を創設者として、元教員やOBらにより開校された学校である。戦前の開校から、旧制高校や士官学校への進学をめざす校風であったため、現在でも伝統的に、スポーツや大学進学教育に力を入れている。また先取り授業や文理分け(高2?3年)など、旧制中学式の制度が継承されている。
校地は1万坪と広く、卒業生は2万人を超える。80年代までは高校募集が主流で、職員数が抑えられたため、都内でも「入り易く、進学実績の高い私立校」との評価があった。東京北部を代表する受験校の1つでもある。
交通
東武東上線「上板橋駅」南口より徒歩8?13分
東京メトロ有楽町線・副都心線・西武有楽町線「小竹向原駅」1番出口より徒歩20?25分
関東バス・国際興業バス(高円寺駅北口 - 赤羽駅東口)「小茂根」バス停より徒歩10?15分
生徒は許可を得れば小竹向原駅から自転車通学をすることができる。
校風・教育
初代・深井校長が、長く4中で教育方針とした「着実・勤勉・服従」を「自主」に直して、校訓とした。都立戸山高の学校案内では「本当の自分になる戸山」と題され、城北では「自分(君)らしく生きる、学ぶ」と表現されている。
毎日授業の前に、目を閉じ、姿勢を正して、「静座」を行う。1年行うことで1日分の時間に値すると言われる。
2代・近藤校長の「体を動かさなければならない」という考えから、戦前は池袋・上板橋間の歩行登校、戦後は豊島園マラソン、21世紀になってトレッキング(競歩)が行事として行われている。
1997年(平成9年)、加藤健治6代校長により、質実剛健(健康と真理)からとった「質実厳正」が教育方針に改められた。
80年代の担任6年持ち上がりから、1997年(平成10年)に3期制が取られ、中3より選抜クラスが設けられた。中高枠が逆転する90年代までは一貫生(中学入学生)・一般生(高校入学生)などと呼ばれていたが、現在は内部生・高入生と呼んでいる。
都立校を母体とするが、公立での勤務経験がある教員は少数派である。OB教員は2割程度ながらOB校長は出ておらず、近年では、芸術科を除く教科から校長・副校長・教頭が出されている。
男子校であるので、生徒からは毎年の様に共学化を望む声が出ているが、実現が見られない状況である。
城北大町山荘は長野県大町市にあり、中学1年生の大町オリエンテーション(新入生同士が仲良くなるのが目的)や、中学2年生の夏季林間学校、高校3年生の大町学習室(すがすがしい空気の中、勉強に集中することが目的)がおこなわれるなど、学校教育に大きくかかわっている。
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』城北中学校・高等学校
- 【偏差値60】巣鴨中学校
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巣鴨中学校・高等学校(すがもちゅうがっこう・こうとうがっこう)は、東京都豊島区にある私立男子中学校・高等学校。
概要
硬教育(努力主義、文武両道)を掲げ、中学校は剣道、高校は柔道又は剣道を正規の必修授業科目としている。「全校有段者主義」、「全教科必修主義」を旨とする。かつては風紀が荒廃していた時期もあったが、現在では進学校の一つに数えられる。関係者は「鴨中」「鴨高」、さらに「ガモ」という略称で呼ぶことがある。
5月の大菩薩峠越え強歩大会、7月の館山巣園流水泳学校と蓼科学校勉強合宿、11月の国営武蔵丘陵森林公園マラソン大会、1月の寒稽古等、季節に応じた様々な行事がある。
所在地は東京都豊島区巣鴨ではなく豊島区上池袋。JR山手線大塚駅より徒歩12分、都電荒川線巣鴨新田停留場より徒歩10分、JR山手線・JR埼京線・西武池袋線・東武東上線・東京メトロ有楽町線池袋駅より徒歩15分、都営三田線西巣鴨駅より徒歩14分、JR埼京線板橋駅より徒歩14分、東武東上線北池袋駅より徒歩12分。
大菩薩峠越え強歩大会
大菩薩峠越え強歩大会は5月に行われる。深夜2時から、東京の奥多摩と山梨の塩山との間に位置する大菩薩峠を越える。全校生徒が参加するが、中学1年生にとっては入学以来初めて経験する行事である。日中に歩く場合に比べて多くの危険が伴うため、先生や卒業生がコースのいたるところで生徒の安全を見守っている。天候の良い年には富士山が一望でき、その雄大さを実感することができる。また大菩薩峠には、同名小説を書き残した小説家・中里介山にちなんだ「介山荘」がある。なお、1年ごとに出発地点が交換される。学年ごとに踏破する距離が異なり、2005年に実施された大会では、中学1年生:20.9km、中学2年生/3年生:26.0km、高校1年生:27.0km、高校2年生:33.9km、高校3年生:34.5kmのコースであった。2000年ごろまでは、小河内ダム駐車場?塩山北中学校の42.3kmが高校生のコースであったが、小河内ダム駐車場が利用できなくなったことにより、高校生のコースが短縮された。
巣園流 館山水泳学校
巣園流館山水泳学校は毎年夏休み中に行われる。現在は中学1年生のみ必修となっており、中学2年生以上は自由参加である。古くから日本に伝わる伝統的な日本泳法(そのうちの水府流太田派)を学ぶ場として現在に受け継がれている。
一重伸し、二重伸し、両輪伸しなどの基本泳法から始め、上級班では各種の抜き手も習い、合宿の最後には遠泳が行われる。遠泳では「遠洋、泳洋」の掛け声をかけながら館山湾を横切る。遠泳では両輪伸しで泳ぐことが推奨される。これは、両手は波面のすぐ下をなでるように水平に円を描いて浮力を得、両足は大きくゆったりと前後に開いてから勢いをつけて閉じる「挟み足」から推進力を得る泳法である。両手両足をシンクロさせて一かきするが、一かきするごとに数秒間全身を一直線にして「伸し」をとる。両輪伸しでは手は水を掻かないのでつかれにくく、また「伸し」をとるたびに体を休めることになるので遠泳向きの泳法である。なお巣園流では他の日本泳法各派同様、ほとんどの泳法で頭を水上に出して泳ぐ。 泳法指導のほか最終日の朝に行われる宿舎対抗の歌合戦の指導にも熱が入る。歌合戦は、声量と迫力に重きが置かれるため、毎夜の歌の指導は荒々しい。
蓼科学校勉強合宿
勉強合宿は毎年夏休み中に行われる。長野県蓼科高原にある蓼科学校にて、団体生活を学びながら、普段の授業では触れることのできない分野などを学習する。中学生と新高入生1年が勉強合宿を行う。
創立記念森林公園マラソン大会
創立記念日11月25日を記念して、毎年埼玉県の国営武蔵丘陵森林公園において10km走を行う。全校生必修となっているが、学年によって3分ずつの時間差スタートとしている(制限時間は、中学1年生は90分であるが、高校3年生は75分)。
寒稽古
3学期の授業開始後、ほどなく行われるのが寒稽古である。剣道・柔道・駆け足(高校生のみ)の3種目から成り、早朝、始業前から稽古が始まる。全校生徒の参加が推奨され、中1から高2までの参加率は90%以上、高3も2割の生徒が参加する。生徒の通学域の拡大や実質全校参加である事情を鑑み、実施期間はかつてより負担が軽くなり、現在、期間は6日間。最終日には納会が行われ、豚汁が配られる。
所在地・アクセス
所在地:東京都豊島区上池袋1-21-1
JR山手線大塚駅より徒歩12分
都電荒川線巣鴨新田停留場より徒歩10分
JR山手線・JR埼京線・西武池袋線・東武東上線・東京メトロ有楽町線・東京メトロ副都心線池袋駅より徒歩15分
都営三田線西巣鴨駅より徒歩14分
JR埼京線板橋駅より徒歩14分
東武東上線北池袋駅より徒歩12分
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』巣鴨中学校・高等学校
- 【偏差値59】逗子開成
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逗子開成中学校・高等学校(ずしかいせいちゅうがっこう・こうとうがっこう)は神奈川県逗子市にある私立学校。神奈川県下では最も歴史の古い私立男子校である。学校法人逗子開成学園によって運営され、2006年現在、理事長は小泉一郎(2005年12月就任)、校長は袴田潤一(2008年6月就任)。
特徴
中等部再開から1990年代半ばくらいまでは、卒業後に専門学校や短期大学へ進む者、進学せず就職する者なども見られた。しかし、大学進学を第一目標に掲げる学校運営を推進し続け、入学生の学力レベルが公立高校の滑り止め程度であった高校3ヵ年コースを縮小・廃止したことにより、現在では生徒のほぼ全員が4年制大学への進学を志望し、早慶上智などの難関私大や国公立大学の合格率も年々増え続けている[5]。
正規授業の枠内では海に近接した立地を生かしておよそ1.5km の遠泳[6]やヨット実習(中学校のみ)などを行う「海洋教育」、校内に設けられた本格的な映写施設(徳間記念ホール)を用いて世界の映画を年数回鑑賞する「映像教育」などの特徴的な教育活動を行っている。
また、中学3年次にニュージーランド、高校2年次には日本国内を含む東アジア各国(生徒が選択する)への研修旅行が実施される(いずれもホームステイ形式)。国際交流が主な目的となっているが、現地観光も行なうなど修学旅行としての側面もある。さらに、希望者は夏休みを利用した海外研修や1年間のアメリカ合衆国長期留学が可能である。
交通
JR横須賀線逗子駅・京急逗子線新逗子駅 徒歩12分
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』逗子開成中学校・高等学校
- 【偏差値59】世田谷学園
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世田谷学園中学校・高等学校(せたがやがくえんちゅうがっこう・こうとうがっこう)は、東京都世田谷区三宿にある私立中学校・高等学校である。中高一貫制男子校。曹洞宗が運営する。
概要
二期制で一限50分・週6日授業を取り入れている(かつては一限70分授業を行っていた時期があった)。
都立高校全盛時には苦戦した[要出典]が、現在では東京大学進学者を毎年数名、早稲田大学・慶應義塾大学合格者数合わせて延べ120名程度出す年(2004年は119名、2005年は112名)があるほどの進学校に生まれ変わった。
駒澤大学とは兄弟校関係[要出典]に当たるが、附属では無い。過去には多くの者が進学していた(一般入試を受けて加点される[要出典])。
制服の色は紺色。生徒会と学校側の長期の話し合い[1]で、2006年度から夏季の制服と体操服が新しくなっている。カバンも2007年度から変更された。
かつては普通科の他に商業科・理数科・帰国生の受け入れを行っていた時期があったが、現在は無い。
沿革
1592年(文禄元年) 曹洞宗吉祥寺の学寮(旃檀林)として誕生。
1902年(明治35年) 曹洞宗第一中学林に改称。
1912年(大正2年) 現住所に校舎が移転。
1924年(大正13年) 校名を世田谷中学と改称。
1983年(昭和58年) 校名を現在の世田谷学園に改称。
教育理念
明日を見つめて、今をひたすらに〜from vision to reality〜
違いを認め合って、思いやりの心を〜from respect for each to respect for all〜
Think&Share
交通
電車
東急田園都市線 三軒茶屋駅北口 徒歩10分
小田急小田原線 下北沢駅 徒歩25分
京王井の頭線 池ノ上駅 徒歩20分
東急田園都市線 池尻大橋駅 徒歩15分
バス
三宿停留所 徒歩5分
学園祭
学園祭の名は「獅子児祭(ししじさい)」といい、毎年10月の最終土曜日と日曜日に催されている。
入学方法
一般の筆記試験による入学は中学に限られる。
高校は、スポーツ成績優秀者を選抜するスポーツ選抜(硬式野球・空手道・剣道・バスケットボール・水泳)があり、これにより入学した生徒は「スポーツクラス[要出典]」に分けられる[要出典]。
専修科という僧侶育成のコースも存在。
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』世田谷学園中学校・高等学校
- 【偏差値58】鎌倉学園
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鎌倉学園中学校・高等学校(かまくらがくえんちゅうがっこう・こうとうがっこう)は、神奈川県鎌倉市にある中高一貫の私立男子校。知徳体一体の教育を理想とする教育方針(文武両道)を持ち、80年以上の歴史を有する伝統校である。
名称について
中学校は「鎌倉学園中学校」、高等学校は「鎌倉学園高等学校」である。現在では、県立鎌倉高校と区別するため「かまがく」と略して呼ばれることも多い。ちなみに、甲子園出場時前後には、「鎌倉学園鎌倉高等学校」と呼ばれていた。今でも県立鎌倉高校を「かまこう」と呼ぶのは、この名残である。実際、1921年の設立当初は「鎌倉中学校」であった。
教育課程 [編集]
鎌倉学園中学校から進学してきた生徒を「内進生」、他の中学校から受験して入学してきた生徒を「外進生」と区別し、卒業までクラス、授業内容は別(一部の選択授業、年中行事、クラブ活動などでは一緒)。
中学校
1年次、2年次、3年次の生徒をそれぞれM1、M2、M3と呼び、中高一貫教育が行われている。Mの意味はMiddleのMと言われている。
高等学校
1年次、2年次、3年次の生徒をそれぞれH1、H2、H3と呼ぶ。 高校入学前に美術か音楽か書道の選択がある。選択しなかった科目は3年で選択できない。 高校1年修了時に本人の希望を基にコースを選択。2年次「文系コース」「理系コース」「理数系コース」にクラスを分ける。
教育方針
習熟度別レッスン制授業(高等部)
外国人講師による英語指導…ネイティブスピーカーによる英語授業。
コンピューターによる授業
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』鎌倉学園中学校・高等学校
- 【偏差値57】城北埼玉
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城北埼玉中学校・高等学校(じょうほくさいたまちゅうがっこう・こうとうがっこう)は、埼玉県川越市古市場にある私立中学校・高等学校。中高一貫制男子校。従前は東京都板橋区の城北中学校・高等学校とは系列校であったが、現在、交流関係はない。
概要
城北埼玉の構想が出来たのは、1970年(昭和45年)頃である。当時、城北学園の理事長兼校長であった近藤薫明(旧府立四中、現・都立戸山高校元教諭)が、創設者・深井鑑一郎の出身地(岩槻)を深谷と解し、武蔵嵐山を候補地として構想を練っていた。そこに、埼玉県の高校誘致による関係で、現在の城北埼玉高校の構想ができた。近藤薫明が80歳を過ぎての開校となった。
初代の近藤正巳校長は、城北高校元副校長・旧城北予備校(市ヶ谷)校長、現・前校長は城北学園のOBである。埼玉県における私立進学校の草分けの一つとして、基礎に重点を置きながらも、大学入試に直結するような授業を展開する。特に高校3年次には8月、1月と、受験の対策のための合宿(希望制)が群馬県みなかみ町猿ヶ京温泉の保養施設で行われる。
特色
学校週5日制を採用していない。高校2年次より理系・文系に分かれてクラスを編成し、3年次ではさらに細かくクラス分けをしている。また、成績優秀者を集めた選抜クラスも存在する。特に理数系に強く、文系は軽視されがちである。
授業料は私立の割には安価(但し埼玉県は、関東の中でも私立高校への補助金制度が遅れている)で、受験校の強制もない。なお私立校であっても公立校的雰囲気があるのは旧制東京府立四中(現・都立戸山高校)の校風を引き継いでいるからと思われる。
「城北埼玉中学・高校」は呼び名として長いので、呼びやすくするために「城玉(じょったま・じょうたま)」と呼ぶ事もある。この時「城北(じょうほく)」と呼ばないのは、東京都板橋区にある城北中学校・高等学校との混同を避けたためである。また、「城埼(じょうさい)」と呼ばないのは、市内にある城西川越中学校・城西大学付属川越高等学校と混同するため「城玉(じょったま・じょうたま)」と略されたのではないかと思われる。
制服
中学生・高校生ともに黒の詰襟。中学生は黒ボタン、高校生は金ボタンとなっており区別がつけられる。Yシャツも中学生はうすいグレーのチェック、高校生は無地と相違がある。
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』城北埼玉中学校・高等学校
- 【偏差値56】明大中野
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明治大学付属中野中学校・高等学校(めいじだいがくふぞくなかのちゅうがっこう・こうとうがっこう)は、東京都中野区東中野三丁目にある私立中学校・高等学校。学校法人中野学園。中高一貫制男子校。
概要
明治大学の付属校の一つで、俗称は「明大中野」「明中(めいなか)」。中高一貫制だが、高校からの入学者も150名前後受け入れている。兄弟校には明治大学付属中野八王子中学校・高等学校がある。
明治大学付属ではあるが、中野校・八王子校ともに学校法人中野学園という別法人で、実質上系属校であり、最新の2008年度明治大学内部進学率は80%程度となっている。しかし、国公立大等への外部進学者が一定の割合でいること、指定校推薦が充実していることなどから、推薦枠を多少余らせて返還しているのが実状である。また、外部受験に於いては東大、一橋大、東工大等に毎年合格者を出すなどしている[1]。ただし、明治大学と国立大学を併願する場合、記述模試にてC判定以上をとらなければならないことは受験要項等には書かれていない。
現在、東中野において、校舎の建て替えと敷地拡大を検討している。
10年ほど前から明治大学より共学化の要望を受けている。しかし、周辺の学校より反対を受け(特に女子高)実現していない。
運動部系の生徒の割合が高いとされるが、多様なカラーの共存する男子校らしい闊達な気風が特徴である。
和算研究の第一人者で、和算研究所理事長を務める佐藤健一は、長らく同校で教鞭を執り、教頭も務めた。
頭髪に関する校則は非常に厳しいが学校紹介のパンフレット等、外部への広報においては、頭髪の規定についての記述は、「髪型は学生にふさわしく清潔なもの」といった曖昧な表現に終始しており生徒の髪型が厳格に規定されている(髪が耳にかかってはいけない)ということを知っている受験生はほぼいないに等しい。
多くの文化人・タレントを輩出した、定時制高校は廃止になっている。
基本理念
「修学錬身」・「質実剛毅」・「協同自治」を基本理念としている。
付属施設
普通教室・特別教室(技術科教室・家庭科室・物理実験室・化学実験室・生物実験室・物理階段教室・化学階段教室・音楽室・美術室・中学社会科教室・高校社会科教室・コンピューター室・視聴覚室)・図書館・グラウンド・屋内プール・体育館・卓球場・柔道場・剣道場・相撲場・射撃場・バスケットコート・バレーボールコート・屋外バレーボールコート・屋外ピッチング練習場・テニスコート・トレーニングルーム・食堂・講堂・岳明寮(校外施設)
部活動
文武両道を伝統とし、運動部・文化部とも活動は非常に活発である。特にバスケットボール部、ラグビー部、ゴルフ部、水泳部、相撲部、射撃部、柔道部、スキー部、スケート部(アイスホッケー)、山岳部などが全国大会に出場するなど、活躍が有名である。中でも、水泳部(水球)、相撲部は全国大会優勝の常連であり、バスケットボール部も強豪として全国的に知られる。
バスケットボール部は第1回全国高等学校バスケットボール選抜優勝大会(春の選抜、現・ウィンターカップ)優勝。
水泳部(水球)では、在学中に国際大会に日本代表として出場した選手など有力選手を輩出。2007年9月には校内プールにて、イアン・ソープ、リーゼル・ジョーンズらによるスイムクリニックを実施。
山岳部は2006、2007年と2年連続での全国大会への出場が決定。
野球部は甲子園出場こそ果たしていないものの、都大会上位に進出することが多い。2008年秋季都大会では4強入りを果たした。また、2009年第78回選抜高校野球「21世紀枠校」として都高野連の推薦を受けた。
音楽部は、文化部の中で最大規模。関東の高校の中で唯一、男子のみで構成されているオーケストラである。その為、男子校特有の覇気のある、濃い演奏で良く知られる。第3回全国高等学校選抜オーケストラフェスタから、毎年出場を果たしている。
交通アクセス
JR中央・総武緩行線 東中野駅西口より徒歩5分
都営地下鉄大江戸線 東中野駅A2番出口より徒歩5分
東京地下鉄東西線 落合駅1番出口より徒歩10分
上記3ルートは一番使われる路線。
西武バス<宿20>系統 東中野駅停留所
ケイビーバス<百01>系統 東中野駅西口停留所
関東バス<宿08>系統 東中野消防署停留所より徒歩2分
西武鉄道新宿線 新井薬師前駅より1.5km程
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』明治大学付属中野中学校・高等学校
- 【偏差値56】東京都市大
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東京都市大学付属中学校・高等学校(とうきょうとしだいがく ふぞくちゅうがっこう・こうとうがっこう、英称:Tokyo City University Junior high school and Senior high school.)は、東京都世田谷区に所在する私立男子校。東京都市大学の付属校である。「東急グループ」に属する、学校法人五島育英会が運営を行っている。
概要
前身は武蔵工業大学付属中学校・高等学校であり、「工業」という名が付いていたが、技術科はなく普通科のみが設置されている。
校長は中学校・高等学校ともに五十嵐勲(2007年度から)。生徒数は全校で1500人程度。2007年(平成19)6月に最新の設備を施した新校舎が完成した。
2009年4月1日から武蔵工業大学が東横学園女子短期大学との統合に伴い東京都市大学に改称されたことから、当校も東京都市大学付属中学校・高等学校に名称が変更された。
沿革
1951年(昭和26)3月 武蔵工業学園高等学校開設。
1953年(昭和28)12月 武蔵工業大学付属高等学校と改称。
1956年(昭和31)3月 武蔵工業大学付属中学校開設。
1964年(昭和39)4月 現在地に移転。
2006年(平成18)9月 新校舎完成。
2007年(平成19)4月 グラウンド完成。
2009年(平成21)4月 東京都市大学付属中学校・高等学校へ校名変更。
柏苑祭
一般的に言う、文化祭・学園祭。名前の由来は校章の柏の葉から。準備日に2日かけ、2日間に渡って行う。柏苑祭実行委員会が指揮をとり開催。2日目の夕方には宴夜祭が開かれる。毎年柏苑祭に使われるポスターは候補が複数発表され、全校生徒が投票により秀作が選出される。本番では多くの文化系クラブが出展し、その優劣を来校者からの投票で競う。その他にも学年展示や生徒会、生徒バンド、教員バンドなども参加している。
また、2007年の柏苑祭からは模擬店での紙コップ、紙皿などの使用をせず、すべてプラスチック容器を使用している。これは、少しでもゴミを減らす為、使用済み容器を返却コーナーまで持っていくと、担当の生徒がこの容器を洗い、また再利用する。模擬店での発売金額は、この容器のデポジット(50円)が含まれており、容器を返却するとこの50円が返ってくる様になっている。
体育祭
中学校も体育祭は、通常の体育祭で綱引き、騎馬戦などの通常の競技で体育祭が行われる。高校では体育祭の代わりに球技大会が行われる。球技大会は、サッカーやバスケットボールなどの球技の他に苦手な人のためにも他の競技が用意されている。
一貫教育
高校の入学募集を2010年度分から停止し、完全中高一貫教育制となった。
中高6ヵ年の中、1年生?2年生(中学1年生?中学2年生)は前期、3年生?4年生(中学3年生?高校1年生)は中期、5年生?6年生(高校2年生?高校3年生)は後期とそれぞれ分けられている。(学校生活の中では、高校3年生のことを6年生と呼ぶことはない。)
前期はすべて均等クラス、中期になると習熟度別クラス編成となりアドバンスクラス(発展クラス)とスタンダードクラス(一般クラス)に分かれる。3年生(中学3年生)は、アドバンスクラスが2クラス、スタンダードクラスが4クラスで、4年生(高校1年生)はアドバンスクラスが1つ増え、アドバンス、スタンダードクラスが3クラスずつとなる。また、後期は理系文系別に分かれ、志望大学に見合ったクラス編成となる。
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』東京都市大学付属中学校・高等学校
- 【偏差値56】高輪中学校
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高輪中学校・高等学校(たかなわちゅうがっこう・こうとうがっこう)は東京都港区高輪にある私立男子学校。剣道の強豪校として有名。平成になって中等部の募集を再開して以降、受験者数、大学合格実績共に着実に伸びている。
校風
かつては高校からの募集も行っていたが現在では完全中高一貫校であり、高校での募集はスポーツ推薦のみしか行っていない。中学受験では4科目でA日程70名、B日程70名、C日程30名を募集。また算数午後入試20名(2002年より実施)、帰国子女10名を募集している。クラス替えは毎年行われるが、中学3年次より成績によるクラス分け(上位2クラス)が行われ、高校2年次には文系理系に分かれさらに成績を考慮した選抜クラスが作られる。また、中学3年次から数学など教科に応じて単一教科の成績によりクラス分けされる「グレード別授業」が実施される。現校長時代から海外交流に力を入れており、高校2年次に修学旅行で海外へ行くほか、中学3年・高校1年の希望者向けにイギリス・サマースクールを実施。注目に値する事は、社会経験がある人材(大手電機メーカーや大手の証券会社などの一般企業や予備校講師など)を積極的に教師として登用していることである。このことは近年の進学実績や英語力の向上と関係が示唆されている。英語教師の中で、実際に英会話力が生徒に信頼されている日本人教師も多い。大学受験においては、英語力のポイントは高い。2003年以降、高輪高校から早慶・東京理科大に進学した生徒は年々増えて来ている。また大学進学した生徒達の中には、ICUや海外大学に進学した者もいる。また料理学校として、イタリアに留学した者もいる(このことは学校全体の語学力の向上とは関連しない)。外国語力のみではなく、特に数学にも力は入れられている。
所在地
東京都港区高輪2-1-32
交通
都営地下鉄浅草線・京急線泉岳寺駅 徒歩3分
都営地下鉄三田線・東京メトロ南北線白金高輪駅 徒歩5分
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』高輪中学校・高等学校
- 【偏差値55】成城中学校
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成城中学校・高等学校(せいじょうちゅうがっこう・こうとうがっこう)は、東京都新宿区原町にある私立中学校・高等学校。
概要
「日本体育会発祥之地」碑 2009/6/11撮影1885年(明治18年)創立の伝統校。日高藤吉郎、河村隆実といった旧士族らが皇室の恩恵を受け創立。戦前は陸軍士官学校・陸軍幼年学校への全寮制予備校として、陸軍軍人志望者に予備教育を施し、数多くの高級軍人を輩出した。日本の陸軍大将は計134名、うち約1割は本校の卒業生である。当初は成城学校と称していたが、後に成城中学校(旧制中学)と改称した。日本で初めて臨海学校、林間学校を開設したほか、陸士受験に必須であったドイツ語を教育する数少ない学校として知られた。戦前は清国からの留学生を多数受け入れ、その卒業生の多くは時の清国を支える指導者として活躍した。
副都心新宿区原町にありながら、土のグラウンドを有するほか、3万冊以上の蔵書を抱える図書館、50台のコンピューターを備えたマルチメディア教室、柔道場、剣道場、テニスコート、温水プールなどを完備しており、部活動も活発に行われている。現在の敷地は、江戸時代には水野忠邦の屋敷であり、明治期に後の校長を務めた児玉源太郎らの尽力により宮内省から下賜されたものである。
「成城」という名は、詩経大雅篇にある、「哲夫成城」に由来する。「哲夫」とは智徳のすぐれた男子のことであり、哲士、哲彦ともいう。 成城の城は国を指し、国を成すの意。すなわち、知達の士は国家を興隆させる者であることをいったもの。校章の三光星は「知・仁・勇」を表す。
2000年以前は最寄り駅の都営地下鉄新宿線の曙橋駅や、営団地下鉄東西線(当時)の早稲田駅から徒歩で15分近くかかっていたが、都営地下鉄大江戸線開業後は牛込柳町駅から徒歩1分と大変至便となった。
成城学園との関係は下記参照。9代校長の澤柳政太郎が成城学校内に付設した成城小学校が成城学園の起源。これが現在の世田谷区に移転し、成城学園として分離独立した。ゆえに現在は、成城学園とは別個の学校である(成城大学は成城学園の大学であり、成城高校は成城大学の附属高校ではない)。なお、大阪府立成城高等学校とは関連が無い。
日本体育会との関係は、本校の創立者である日高藤吉郎が学校法人日本体育会を、校舎敷地内に創立。現在、校内に「日本体育会発祥之地」なる記念碑が建立されている。創立以来、学校間の関係はないものの、両校の創立者である日高が死去した際は合同葬儀を実施している。
成城学園との関係
(以下の記述は、校史『成城学校百年』に基づく)
1916年、澤柳政太郎が、成城学校の9代校長に就任したが、その就任の条件として、小学校を付設させることを挙げた。その翌年の1917年、成城学校内に、成城小学校が新たに付設され、新教育の実験校となった。
以来、親たちより、旧制中学校以降も小学校と同様の教育をして欲しいという熱心な希望があり、1923年、成城小学校の卒業生が進学する、成城第二中学校が開校した。
さらにその卒業生の進学先となる旧制高等学校の問題が出てきた。また、将来の生徒増を考えると、教室、敷地も狭くなるため、東京府郊外へ新校地を求めていた。そして、関東大震災を契機に、府下北多摩郡砧村喜多見(現世田谷区成城)で、それが実現することとなった。
1925年、成城第二中学校が移転し、これに伴い、成城玉川小学校が併設された。1926年、7年制の成城高等学校が創設開校され、成城第二中学校は法規上自然廃校となり、高等学校の尋常科として、包括された。
1929年、砧村の成城小学校、成城第二中学校は、正式に成城学校の財団とは分離独立している。
交通
都営地下鉄大江戸線 - 牛込柳町駅(徒歩1分)・若松河田駅 (徒歩9分)
東京地下鉄東西線 - 早稲田駅(徒歩15分)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』成城中学校・高等学校
- 【偏差値54】城西川越
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城西川越中学校・城西大学付属川越高等学校(じょうさいかわごえちゅうがっこう・じょうさいだいがくふぞくかわごえこうとうがっこう) は、埼玉県川越市にある私立中学校・高等学校。中高一貫制男子校。設置者は学校法人城西川越学園。略称「城川(じょうかわ)」、「城西」、「城西川越」、「城西大川越」。
概要
高校は城西大学付属と冠しているが、本校の設置者は学校法人城西大学ではなく、同大学の系属校としての位置づけである。 もともとは城西大学の系属校として開校したが、入学してくる生徒の学力が年を追うごとに上昇するとともに生徒の他大学受験志向が強まり、1980年代後半には城西大学への推薦入学を希望する者は10名未満となった。大学附属校というのはもはや名目だけとなり、埼玉県内の私立高校ではじめて東京大学に合格者を出した。
中学校を創設する際「大学付属」を取って城西川越中学校と名づけたのも、この現状を踏まえ進学校としてよりいっそう成長していこうという教師たちの決意の現れであった[要出典]。中学がこの名前で開校して以来、高校のほうも「城西川越高校」と呼ぶのがむしろ普通となった(あくまで正式名称はもとのままである)。現在も、西武学園文理高校、城北埼玉高校などとともに埼玉県西部地区の私立進学校として知られている。 学校周辺は田んぼが広がり自然豊かである。
また、2008年5月より法人名が学校法人城西第二学園から学校法人城西川越学園に変更された。
教育方針
建学の精神「報恩感謝(恩に報い、感謝の念を忘れない)」の念を発揚して、独立自尊・恩愛に報い、心身ともに健康で社会の発展に奉仕する人材の育成をはかる。[1]
勤勉努力、自学自習、学力の向上
コース(高校)
内進コース(中学からの内部進学生)
特進コース
文理コース
上記3コース制である。高校から入学した者は特進コース・文理コースのいずれかに所属することになる。1・2年次は他のコースの生徒同士でクラスが同じになることはない。3年次のみ、1つのクラスに特進・文理・内進の生徒が混合する。
平成16年度より特進コース・文理コースともに1週の授業単位が35時間と統一された。(それまでは特進コースの方が1単位多かった。)しかし、定期試験の科目数に関しては特進コースの方が文理コースよりも多い場合もある。
部活動
第88回全国高等学校選手権埼玉大会4回戦 浦和学院高校戦での硬式野球部の応援学校創立当初は部活動が盛んであったが、現在は部活動に参加する生徒の割合は6割ほどである。
野球による推薦入試を実質的に行っておらず、これは私立学校としては稀なケースである。
部活動ではないが、中学・高校生徒会と有志によって活動されている有志団体和太鼓「欅」(けやき)がある。体育祭・文化祭等の校内行事以外にも校外での公演も行っており、全国大会にも連続出場(2007年度、2008年度)を果たしている。[2]
英語教育の特色
英語教育に最も力を入れており、1時間目の前にはNHKの基礎英語シリーズやラジオ英会話を全校で聴く時間(15分間)が設けられている(これは1日の授業が始まる前に、生徒が集中力を高められるような機会を提供しようという意図もあるという)。
英語科全体の考え方として、各英語教員が授業の中で特に中学生及び高1生に対して、英文を読めるようになるにはまず
文型を正確に把握し
直訳できる力を身につける
ことが重要であると強調している。
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』城西川越中学校・城西大学付属川越高等学校
- 【偏差値53】独協中学校
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獨協中学校・高等学校(どっきょうちゅうがっこう・こうとうがっこう)は、東京都文京区にある私立中高一貫校である。
概要
明治時代に設立されていた獨逸学協会学校を母体に設置された。近代日本の医学はドイツを手本としていたため、設立時から現在に至るまで、医学部系の進学率が非常に高く、医学部系への推薦入学は系列大学を含め多数。獨協大学の系列校としてのイメージはあるが、当校の設立の方が古く、実際にはその逆である。校舎はモダンな構造で、テーマは「光と風と緑の創造空間」。
沿革
1883年 獨逸学協会学校を創立
1884年 専修科(現在の獨協大学)・普通科を併設
1893年 普通科を獨逸学協会学校中等部に改称
1895年 専修科を分割、東京帝国大学文学部独逸語科の母体となる
1948年 獨協中学校、高等学校を発足
1997年 完全中高一貫制開始
1998年 新校舎完成
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』獨協中学校・高等学校
- 【偏差値50】芝浦工大附
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芝浦工業大学中学高等学校(しばうらこうぎょうだいがくちゅうがくこうとうがっこう 英語名:Shibaura Institute of Technology Junior and Senior High School)は、東京都板橋区に位置し、中高一貫教育を行っている私立男子校。校長は西山淳。
特長
英語教育としては、実用英語技能検定や国際コミュニケーション英語能力テスト(TOEIC Bridge)の受験を推奨しており、希望者は定期的に本校で受験ができる。また中学では英単語コンテストを行い、語学力の基礎を身につける。
情報教育としては、P検(パソコン検定)のほか、J検やCGエンジニア検定および初級システムアドミニストレータ、また国際ライセンスであるIC3(アイシースリー)などを推奨しており、すでに資格を得た生徒による体験談や外部講師による講習会なども学内で行われている。また近年、QUEST EDUCATION CUPの全国大会に出場するなど対外的な活動も盛んである。
中学1年 - 中学3年 「英語総合」
英語の母語話者教員による少人数制の授業「英語総合」がある。英会話に重点を置いて、教材もNHKの語学教育放送用教材「基礎英語1」「基礎英語2」及び「基礎英語3」等を使用している。
中学1年 - 高校2年 「水泳」
エアドーム型のプール棟で「水泳」の授業が毎週ある。最終的には、バタフライ・背泳ぎ・平泳ぎ・クロールを順に50mずつ合計200mの個人メドレーを完泳できるように、体育の教員と水泳専門の職員とがペアになり懇切丁寧に指導している。
中学3年 - 「サイエンスアワー、ラングイッジアワー」
毎週2時間サイエンスアワーかラングイッジアワーの授業がある。サイエンスアワーは理科に興味を持ってもらうために、言語アワーは話し方を学ぶために始まった。
高校1年
英米のTEFL(外国語としての英語)教材等も利用しながら、国際的に通用するコミュニケーション能力としての英語習得を目指している。
高校2年 - 「芝浦コースと他大コース文理選択」
芝浦工業大学に推薦を志望する者と他大学を目指すものにコースが分かれる。 他大コース志望者は理系志望者と文系志望者とで履修が変わる。文系志望者は英語に重点をおいたカリキュラムになる。
高校3年
全体としては、2学期までの通常授業は午前中の4限までで、3学期には通常授業はない。
他大志望者に関して、2学期までは午後の5・6限に実施される、自由選択科目があり受講する生徒も少なくない。また、3学期にも同様の講座を自由にとることができる。
※芝浦推薦希望者(内定者)は次の 芝浦工業大学推薦関係の項目 1.と3.も参照すること
芝浦工業大学推薦関係
1.芝浦工業大学へ推薦資格を得るためには理系クラスを選択し、高校3年で午後の5・6限に実施される、学校指定の芝浦科目(英・数・物または生・化の全4科目)を受講する必要がある。また推薦枠の一部については、推薦資格を確保したまま他大学を受験できる制度(併願)がある。
2. 姉妹校の芝浦工業大学柏中学高等学校に比べて、同大学への内部進学の割合は高い。
3. 大学推薦内定者には、3学期の平日の午前中に特別編成での授業が行われる。
環境
中学生と高校生が分け隔てなく同じ校舎で学んでいる。学校内部では高校1年生を4年生、高校2年生を5年生、高校3年生を6年生と呼んでいる。
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』芝浦工業大学中学高等学校
- 【偏差値53】法政第二
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法政大学第二中学校・高等学校(ほうせいだいがくだいにちゅうがっこう・こうとうがっこう)は、神奈川県川崎市中原区木月大町にある私立中学校、高等学校。設置者は学校法人法政大学。略称は、「二中」「二高」「法政二」などである。
概要
中高一貫制の男子校で、法政大学の附属校。硬式野球、ラグビー、ハンドボール、フェンシング、アメリカンフットボール、バレーボール、バスケットボールなど、多くの部が毎年全国大会で活躍している。特に硬式野球部は過去9回夏の甲子園に出場し、優勝2回、準優勝1回の実績がある。
学習面では入学時に、美術クラスと音楽クラスに分けられる。そのため3年間の大半の行動が同じ芸術クラスとなる。
2007年度より週5日制から週6日制に変わり、新カリキュラムによる教育が行われる。
また、法政大学への被推薦権を保持したまま学部に関係なく他の私立大学や国公立大学を受験することができる。
設置課程
普通科全日制
週6日制34単位
三年次より生徒の進路選択により一・二年次の芸術選択クラスから法政文系クラス、法政理系クラス、センタークラスに分かれる。
最寄駅
東急東横線・目黒線 武蔵小杉駅
東日本旅客鉄道(JR東日本)南武線 武蔵小杉駅
東急東横線 元住吉駅
二高祭・二中文化祭
毎年約12000人が来場する[要出典]。一時期は全国で一番女子高校生を文化祭において集めた高校としてもランクインしていた[要出典]。 クラスが主体になって行うクラス企画や、体育連盟や文化連盟の企画する催しが行われている。体育連盟は大体が公開練習を行っており、毎年大体2クラブが招待試合をしている。
地域との関わり
武蔵小杉駅からの通学路には法政通り商店街があり、学校側と商店街との定期的な懇談会がおこなわれている。また吹奏楽部が商店街のイベントで演奏するなど様々な交流が試みられている。
海外研修
海外研修も盛んであり、二高および法政大学高等学校、法政大学女子高等学校の希望者たちが夏休みに2?3週間ほど行う。費用は40万程度だが大学から補助が出る場合もあり、比較的安く行くことができる。またニ中では、希望者だけ「ニュージーランド研修」を行う。
EIT(English Information Technology)研修:アメリカ、カリフォルニア州へ
オックスフォード研修:イギリス、オックスフォードへ
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』法政大学第二中・高等学校
- 【偏差値49】藤嶺学園
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藤嶺学園藤沢中学校・高等学校(とうれいがくえん ふじさわちゅうがっこう・こうとうがっこう)は神奈川県藤沢市西富にある私立の男子校。1915年(大正4年)に創立認可された。
概要
前身は、1894年(明治27年)3月に創設された、清浄光寺(遊行寺)の僧侶養成機関「時宗宗学林」、そのため授業の一環として「修身」が存在している。藤沢翔陵高等学校・鵠沼高等学校は兄弟校。
クラス編成 [編集]
高等学校は普通科の中に中高一貫コース、理数コース、進学コースの3つが設けられている。中高一貫コースのクラスは、2004年度(平成16年度)に設置されたもので、このクラスに入れるのは、藤嶺学園藤沢中学校からの進学者に限られ、高校からの入学者は、理数コース、進学コースになる。
部活動
運動部が活発で、特に野球部・バレー部が有名。野球部は甲子園へ、バレー部も春高バレーに出場を果たしている。また文化部には、鉄道研究部や無線部などがある。
交通
小田急江ノ島線藤沢本町駅 徒歩15分
JR東海道線・江ノ島電鉄線・小田急江ノ島線藤沢駅 徒歩15分
※通学時のバイク通学は認められていない。自転車通学については認められている。
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』藤嶺学園藤沢中学校・高等学校
- 【偏差値48】日大豊山
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日本大学豊山中学校・高等学校(にほんだいがくぶざんちゅうがっこう・こうとうがっこう)は、東京都文京区大塚にある日本大学付属の私立中学校・高等学校。通称「日大豊山」。
概要
日本大学系列の付属校には大きく分けて日本大学と法人を同じくする正付属校と日大とは別法人が経営する準付属校があるが、日大豊山は大学経営の正付属校である。本校は多くの生徒が日大へ推薦入学できるため、部活動が概して盛んで全国レベルのものも多い。大学進学率は90%を超え(20年度資料から)、また近年は特進クラスを設置し、国公立大学や難関私立大学の合格者が増加傾向にある。
前身は古く、護国寺によって明治20年に設置された中学林・大学林(大学林は正式名称を真言宗新義派大学林。これが後の豊山大学となり、大正大学へ組み込まれた。また中学林の正式名称は真言宗新義派大学林附属予備前中学林という)であり明治36年には中学林が豊山中学として認可された。
現在の日大豊山校歌は詩人で日大芸術学部教授であった神保光太郎の作詞であるが、旧制豊山中学校校歌の作詞は北原白秋であった。
豊山中学は、大正期創立の旧制日大一中より創立は古く、日大三高の前身である高等商業予備門(後の旧制赤坂中学)とともに現在の日大付属校では最も歴史のある学校である。日大系列となった経緯は、新学制の豊山中学高校時代に、護国寺から戦後日大一高、二高、三高といったその付属校を失い再び付属校の再編成を計画していた日大へ譲渡されることになったことに始まり、昭和27年には校名を日大豊山とし、日本大学に昭和29年に完全に吸収されることになった。このとき護国寺側から豊山の校名は必ず継承するよう要望があったことで、現在も豊山中学高校の名は受け継がれている。
豊山中学・高校の同窓生は旧制豊山中学からの卒業生からの通算制となっており、同窓会会長も旧制豊山中学卒で護国寺住職の岡本氏に引き受けて頂いている。豊山中学・高校の歴史の中では定時制課程(男女共学)も併設していたが昭和45年に募集が停止され、昭和51年には廃止された。
また板橋区中台にある日本大学豊山女子中学校・高等学校は日大豊山高校から分離独立した高校であり、昭和57年の4月独立時まで日大豊山とは校長を同じくしていた。日大豊山高校のグラウンドや総合体育施設は豊山女子高校内(隣接)しており、主に体育祭、野球部やサッカー部などの活動が行なわれている。また高校1年生時では陸上や野球、サッカーなど(週1回)の体育授業が同校の専属バスを利用してそのグラウンドに行き行われる。それら施設は通称として中台グラウンドや中台と呼ばれている。 また、特進クラスを設置し東京大学に現役合格者が出るなど、近年他大進学にも力を入れている。
最寄駅は有楽町線護国寺駅。最寄り駅からの徒歩時間が40秒以内という学校の立地条件にある。
学校が学校生徒に対してのみ販売している鞄(通称:豊山バック)は有名。この豊山バックは二本のピンクのラインが端に縫っており、その見た目からか他校からも人気がある。
授業料
中学校 1年1024900円、2年741900円、3年711900(入学金、旅行費等諸経費込、参考値)
高校 1年1068900円、2年805900円、3年665900円(入学金、旅行費等諸経費込、参考値)
アクセス
東京メトロ有楽町線 護国寺駅1番出口より徒歩20秒
東京メトロ丸ノ内線 新大塚駅より徒歩10分
都電荒川線 東池袋四丁目停留所より徒歩10分
都営バス 護国寺前停留所より徒歩10秒
沿革 [編集]
4月から始まり3月までを1年とする。
1887年(明治20年) 真言宗豊山派の護国寺により中学林・大学林設置(大学林は後に豊山大学→大正大学)
1903年(明治36年)11月 私立豊山中学校認可(この年をもって現在は創立年としている)
1946年(昭和21年)4月 旧制最終入学式
1952年(昭和27年)11月 学校法人日本大学豊山学園として日本大学へ移設契約する(正付属校になる)
1954年(昭和29年)8月 学校法人日本大学に吸収合併され日大と同一法人「日本大学豊山中学校・高等学校」となる、5月 マラソン大会が始まる。
1959年(昭和34年)4月 新校歌制定、3月 2号館新築竣工
1961年(昭和36年)9月 3号館新築竣工
1963年(昭和38年)3月 4号館新築竣工
1964年(昭和39年)10月 東京オリンピック見学
1965年(昭和40年)7月 スクールバス購入、千葉県(九十九里浜)野栄学寮新築竣工
3月 板橋区中台に日本大学豊山女子高等学校開校(当時は普通科の他家政科も設置していた)
1969年(昭和44年)12月 スキー教室開く
1970年(昭和45年) 定時制課程募集停止
1976年(昭和51年) 定時制課程廃止
1977年(昭和52年)11月 五号館新築竣工
1982年(昭和57年)3月 日本大学豊山女子高等学校分離独立
1994年(平成6年)4月 体育クラス設置
1996年(平成8年) 千葉県(九十九里浜)野栄学寮閉寮(平成12年解体)
2000年(平成12年)8月 第82回全国高等学校野球選手権大会(甲子園)初出場
2004年(平成16年)創立50周年(日大移設50周年記念)下校ソング普及キャンペーンに応募し当時無名に近かったmihimaru GTが来校。
2007年(平成19年)11月22日ダライ・ラマ法王14世来校、講演
授業
週6日制(日曜休み)
1時限50分授業
土曜日は4時限授業
クラス編成
高校1年生は、豊山中からの生徒と高校入学者とはクラスが別れる。2年生から混合となる。
特進クラスは中学3高校1、2、3年に設置。特進クラスは高校2年から3年移行の際、一般と特進の変更はできない。
特進クラスは日大に内部推薦進学する場合、制約がいくつかある。
原則中学は6クラス高校は12クラスである。
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』日本大学豊山中学校・高等学校
- 【偏差値46】佼成学園
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佼成学園中学校・高等学校(こうせいがくえんちゅうがっこう・こうとうがっこう)は東京都杉並区にある私立中学校・高等学校(男子校)。設置者は学校法人佼成学園。
特色
ほぼ全員が4年制大学を目指す中高一貫校。高校からの生徒募集もある。
立正佼成会を母体とする学校法人が経営。立正大学とは無関係である。宗教法人が設立した学校であるが、宗教に関した教育・授業は無く、立正佼成会とは無関係な生徒、教師が大半を占める。
制服は、ボタンのない蛇腹の詰襟。学習院高等科や巣鴨高等学校、攻玉社中学校・高等学校などと同型。色は濃紺。
現校長の榎並紳吉はソフトテニスの元学生チャンピオン、全日本ナショナルチームの男子コーチを務めるなど、スポーツマンとしての一面も持つ。
クラブ活動は、甲子園出場3回(1966年と1968年の春、1974年の夏)の野球部をはじめとして、弓道部・ソフトテニス部・自転車部が近年関東大会やインターハイに出場しており、特にアメリカンフットボール部は2007年春季関東大会で初優勝するなど強豪として知られている。文化部でも、軽音楽部が2007年に府中で行われた高校生バンドバトルで優秀賞を得た他、2008年には生物研究部が全国区のコンクールで入賞するなど、活発な活動が行われている。
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』佼成学園中学校・高等学校
- 【偏差値45】横浜中学校
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横浜中学校・高等学校(よこはまちゅうがっこう・こうとうがっこう)は、神奈川県横浜市金沢区にある私立学校。略称「横高(よここう)・横中(よこちゅう)横校(よここう)」。
概要
1942年、旧制神奈川県立横浜第一中学校(現・神奈川県立希望ヶ丘高等学校)校長であった黒土四郎によって旧制横浜中学校として設立され、後に本牧中学校を吸収。現在、中学校と高等学校を併設して中高一貫教育を推進し、大学進学に力を注いでいる。
特進コース
国公立・難関私立大学を目指すコースとなっている。(この中で、入学試験に於いて上位30名の成績で構成される”特進選抜クラス”も存在する)
文理コース
中堅私大などを目指すコースとなっている。なお、1年次にテストなどの基準を満たしていれば特進コースに編入することも可能である。また、2年次から理系・文系に分かれ特進コースに近い学習内容を行う、理A・文Aクラスも編成される。
特性コース
スポーツなどの分野に長けている者を主に対象しているコース。
六ヵ年一貫コース
横浜中学校からの進学者を対象にしているコース。なお、六ヵ年一貫コースには選抜クラスという、特進コースと同様に国公立・難関私立大学を目指すクラスが存在する。
硬式野球部
野球部は夏の甲子園である選手権大会にて、過去13回出場(春のセンバツ大会に於いては12回出場)の日本を代表する名門。1973年春のセンバツ大会に初出場し優勝、1980年の選手権大会は全国制覇を成し遂げた。1998年には松坂大輔投手を擁して前年の明治神宮大会優勝と甲子園では春夏連覇を達成。さらに、地元で開催されたかながわ・ゆめ国体も制し、高校野球史上初の1シーズン四冠達成(このチームは公式戦の負けが1試合もない)。2003年春のセンバツでは準優勝、2004年夏の全国大会はベスト8に勝ち進んだ。2006年春のセンバツでは8年ぶり3度目の優勝を飾った。1970年代から80年、90年、00年代において、それぞれ甲子園優勝というのも高校野球史上初・同校のみである。(全国優勝は、春のセンバツ3回、夏の選手権2回、神宮大会1回、国体5回等)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』横浜中学校・高等学校
- 【偏差値44】郁文館
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郁文館中学校・高等学校(いくぶんかんちゅうがっこう・こうとうがっこう)は、東京都文京区向丘に所在する私立中学校・高等学校。
概要
1889年開校。旧制郁文館中学を前身とする私立学校。明治期に於いては第一高等学校合格者数では常に上位に位置していた。姉妹校(同じ校舎内)に郁文館グローバル高等学校が所在する。
夏目漱石の小説『吾輩は猫である』に登場する「落雲館中学校」は、当時漱石の家の裏にあったこの郁文館がモデルだと言われている。
交通
東京地下鉄南北線、東大前駅徒歩5分
東京地下鉄千代田線、根津駅または千駄木駅徒歩10分
都営地下鉄三田線、白山駅徒歩7分
文化祭
郁秋祭と呼称。10月の第2土・日曜日に開催。
姉妹校
郁文館グローバル高等学校 - 同一敷地内。
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』郁文館中学校・高等学校
- 【偏差値43】明法中学校
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明法中学・高等学校(めいほうちゅうがく・こうとうがっこう)は、東京都東村山市にある中高一貫の私立男子校。
概要
1964年霊友会初代会長小谷喜美の提唱によって創立されたが、宗教教育は一切行われない。ちなみに霊友会大形派の青年向け月刊誌のタイトルは同じ「明法」である。
2002年度、ゆとり教育の流れに一旦乗るも、2003年度より本来のカリキュラムに再変更。さらに成績優秀者30名を集めた特進クラスは物議をかもした。ともあれ改革の成果で中学受験者は着実に増加しており、2005年度以降の中学1年生は4クラス構成となった。
2007年度より、中1・2も英語のみ2クラスを三分割して授業を行っている。中3・高1も同じように2クラスを三分割して行っている。そして、中3・高1のみ一番上のクラスを特別選抜コースとしている。
建学の精神
建学の精神は、明法に学ぶ生徒が、この世に生を受けたことに感謝し、知性を磨き、よい習慣を身につけ、社会のため、国家のため、人類のために役立ち、世界平和に貢献できる人間を育成することにある。
この精神は校歌にも明確に歌われている。
所在地
〒189-0024 東京都東村山市富士見町2丁目4-12
交通
西武国分寺線・西武拝島線小川駅より徒歩15分。
西武新宿線久米川駅から第三小経由立川駅行、または東大和市駅行バスで明法学院前下車、徒歩1分。
JR立川駅または西武拝島線東大和市駅から第三小経由久米川駅行バスで明法学院前下車、徒歩1分。
JR武蔵野線新小平駅から自転車で10分、または徒歩約25分。銀河鉄道バスが登校時1便、下校時4便運行。
西武多摩湖線八坂駅から徒歩約10分。
沿革
1964年4月 東京都東村山市に創立。
1971年 全国高等学校総合体育大会・サッカー競技に帝京高等学校と共に出場。
2003年 難関大学進学のための特進コース設置(中3・高1は英数のみ。高2・3は特進クラスが編成される)。
2005年 創立40周年記念事業として新校舎完成。
設置課程
全日制普通科のみ
校風
自由な校風である。
授業のなかで特徴的なものは「器楽」である。中学入学時に全員が金管楽器・木管楽器・弦楽器を選択し、中学2年・3年時の明法祭でオーケストラの演奏を行う。以前は週2時間設けられていたが、現在は中3のみで、中1・中2は一時間に減らされた。
MARCH志望者が多く、指定校推薦枠も豊富である。推薦による進学者は進学後も優秀な成績を残す者が多い。近年は最難関の国私立大学への進学者も増加傾向にある。
新校舎
2005年エレベーター、スポーツジム完備の新校舎が完成。さらにグラウンドには照明施設が新設された。(スポーツジムは2007年5月29日頃にスポーツジム用具が揃えられた。)
同時に講堂の校章は、蓮部分が銀色、「明法」部分が金色に塗布された。2006年には講堂の壁に新たに時計(卒業記念品)が取り付けられた。
旧校舎取り壊しの際、ピロティー外壁に掲げられていた卒業記念品の時計(期は異なるが東西に計2つ設置されていた)が取り外されたが、現在明法内の外壁ではその姿を確認することはできない。
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』明法中学・高等学校

